Kバレエ タイムズ K-BALLET TIMES

【校長コラム】Vol.6 ローザンヌ国際バレエコンクールがもたらしてくれたもの - 蔵健太(K-BALLET ACADEMY/K-BALLET SCHOOL校長)

2025.01.09
校長コラム

Kバレエ アカデミーの2年目の秋学期があっという間に終わり、1月から新学期が始まりました。

生徒たちは今シーズンもさまざまな舞台を経験し着実に成長しています。特に昨年後半は多くのイベントがあり、10月のキネコ国際映画祭でのパフォーマンス、11月のソロ・イブニング(全員がソロを踊る発表会)、12月の横浜ドイツ・クリスマスマーケットのパフォーマンスに出演しました。生徒は今回の『シンデレラ』公演にも出演させていただいており、プロフェッショナルダンサーと一緒に舞台に立つという特別な時間を過ごせています。

年末もアカデミー生たちは、今学期に開催されるコンクールやパフォーマンスに向けて、懸命に練習に取り組んでいましたが、この時期にコンクールの練習をしている生徒を見ると、私の人生の転機となったローザンヌ国際バレエコンクールを思い出します。

昨年10月、キネコ国際映画祭にKバレエアカデミーが出演。
昨年10月、キネコ国際映画祭にKバレエアカデミーが出演。

私が16歳の時に参加した同コンクールは普段はスイスのローザンヌで行われていますが、私が参加した1995年は、ロシアの首都モスクワのボリショイ劇場で行われました。2月の上旬に開催されたため、毎日マイナス20℃の天候が続き、吐く息も白く、肌が凍り付くような寒さだったのを、今でも忘れることはできません。大会期間は約1週間というこれまでのコンクールでは体験したことのない長丁場で、毎日朝早くからバレエクラスとコンテンポラリークラスのレッスンの後に、夜遅くまでクラシックソロとコンテンポラリーソロの審査があり、予選、準決選、決選と審査が続き、1日経つごとに参加者がどんどん減っていくサバイバルのようなコンクール体験でした。

当時は英語もほとんど話すことができず、通訳もいなかったのでコミュニケーションを取るのもとても大変でしたが、大会期間中に何より困ったことは食事でした。

参加者は劇場内の食堂を使うことができ、パンやスープなどシンプルなものや、コロッケなどの揚げ物などが並んでいたと思うのですが、どれを食べても味付けが日本とは違うことに慣れず、何も食べられなかったのです。大会初日後にホテルに戻った時には空腹でとても辛かったのを覚えています。

今でこそ世界各国を回り、それぞれの国の食文化に向かい合うことができるようになったものの、当時の自分は、酸っぱいパンを口に入れただけで気持ちが悪くなっていました。そんな私を救ってくれたのは、北海道から同行してくれた恩師の内山先生でした。先生はこんなこともあろうかと日本からお米を持参し、毎日ホテルでお米を炊き、おにぎりを作ってくれたのです。

毎朝晩、ホテルで先生にお米を炊いてもらい、お昼も先生が握ったおにぎりを劇場に持って行きましたが、先生がお米と一緒に持って来たふりかけも最後にはなくなり、日本に帰る前の日には塩むすびになったのも、今では良い思い出です。これは大会後に聞いた話ですが、日本や他の国から来た出場者たちも皆、同じような問題で苦しみ、最終日まで体力が持たず、自分の力が出し切れなかった人も多かったそうです。自分はこのおにぎりパワーのおかげで、大会を乗り切りスカラーシップ賞(銀メダル)を受賞することができました。

大会後に日本へ帰国し初めて口にした味噌汁も、普段だと何も考えず口にしていたものが、ものすごく美味しく感じたことも思い出の一つです。食べ物だけではなく、帰国後に友人や家族と日本語で会話ができることへの喜び、北海道の空気の新鮮さ、山の美しさなど、自分が住んでいる環境がどんなに素晴らしいものだったのか改めて実感するとともに、私をサポートしてくれた教師や家族の大切さが身に染みました。

1995年、ロシア・ジョイポリ劇場にて開催されたローザンヌ国際バレエコンクールにて。16歳の蔵健太。
1995年、ロシア・ジョイポリ劇場にて開催されたローザンヌ国際バレエコンクールにて。16歳の蔵健太。

コンクールで頂いたスカラーシップで英国ロイヤル・バレエ学校へ留学。その後英国ロイヤル・バレエに入団し、海外のたくさんの劇場で踊ることができましたが、このコンクールが語学を勉強する必要性や、食事の大切さ、そして、今まで当たり前だと思っていたことがそうではなく、特別なことだと認識するようになる最初の機会でした。それをきっかけに、普段の生活や今いる自分の環境など、自分を取り巻くすべての方々に感謝ができるようになりました。

ローザンヌ国際バレエコンクールがスイス以外で開催されたのは私が参加したモスクワ大会が最後と聞いています。そんな特別な大会でスカラーシップ賞を頂き、その後熊川ディレクターにロンドンでお会いし現在に至りますが、よく考えてみると、この大会がなければ今の自分はいなかったのではと思います。

一昨年30年ぶりに英国から日本に帰国し、バレエ教育活動を行っている私ですが、帰国してからのたくさんの方たちとの出会いや新しい学びを得ることができている毎日に感謝しています。海外生活が長かったので、外国で暮らす楽しさなどを生徒に話す機会が増えましたが、日本を離れたことで感じられた日本のバレエ文化やバレエ芸術の素晴らしさも同時に話しています。また今後は海外のダンサーにも日本のバレエ文化の素晴らしさを伝えていきたいと考えています。

今年ももうすぐローザンヌ国際バレエコンクールが開催されますね。日本人の出場者の活躍を心から応援しています。また余談ですが、私は自他共に認める熊川ディレクターの大ファンでもありますが、ディレクターが参加した同コンクールもローザンヌではなく東京開催でした。本拠地以外で開催されたのは50年以上の歴史の中で3回だけですから、なかなかの偶然です。同じ北海道の旭川市出身、さらにスイスのローザンヌ大会を経験していないという共通点があることを自慢に思っています(笑)。